ゆるりと暮らす

庭の花、美味しいもの、旅行など、 毎日のことを日記代わりに綴っています。

カテゴリ: ★島根県「津和野」~大田市「岩見」


今日は朝から曇りでしたので「庭仕事をしよう!」と蚊取り線香を点けて庭に出ましたが11時過ぎから雨が降ってきました😢

あら!こんなところに「ネジバナが咲いているわ」と思っていましたが2本あったのにいつの間にか1本になっていました。バックにピントがいってしまいボケ写真ですが💦
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マゴのハイビスカスも今年は蕾が落花しないで次々と咲いて優秀です。
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【しろがねの葉】

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昔は本が大好きでよく読んでいましたがマゴ🐶を飼うようになってからいつの間にか読まなくなりました。 でも今年の1月だったかに「直木賞受賞」の「千早茜さん作品」の紹介を読んだとき、内容が「石見銀山」での話というのを知りました。

石見銀山は去年島根県に行った時に行ったところです。
その「石見銀山で育った女性の一生」を書いた小説というのですぐに購入しました。

読み始めは難しい言葉や漢字が多かったのですが読んでいくうちに内容に引き込まれ
一気に読んでしましました。


むかし「読書感想文」の宿題が出ると、うまく書けなくてとても苦手でしたので 今回もたいした感想ではありません💦
銀山にある坑道の様子が目に浮かびます。坑道内で働く男性達は長生きしないで鉱山病で30歳前後で亡くなっていたそうなので女性は2度3度と結婚して男の子を生み坑道夫として送り出すのが当時の石見に暮らす女性達だったとも書かれていました。

小説の主人公の「ウメ」は小さい時に両親とはぐれて天才山師と言われた喜兵衛に育てられます。
坑道内に女性は入れないのですが子供の時のウメは入ります。夜目が効くので暗い坑道内でも自由に動き回って皆を驚かせますが、大人になってからは入れません。


ウメも2人の男性と結婚しますが鉱山病で亡くなる最初の夫(隼人)の最後の様子には夫の想いを知って涙が流れました。どの男性も若くして亡くなるからその後自分の妻が他の人と結婚するという事は当たり前のようなことだけど 皆 どんな思いで亡くなっていったのかしら。ちなみにウメが結婚したのは2人ですが最初に育ててくれた喜兵衛の事も愛していたと思うので生涯3人の男性を愛した事になるのでしょうか。

今は廃坑となっている石見銀山ですが銀が採れていた頃は山にも人が溢れ活気もあった事と思います。
小説の最後に「ウメが見下ろす大森の街の明かり」という場面が出てきますが 私達も石見銀山に行った時はこの江戸時代の街並みがそのまま残る「大森」の街並みを散策しました。

今でもその町並みは目に浮かびますが、銀山が発展していた頃はあの街の活気はどんなだったんだろうと想像します。


石見銀山では有料のボランティアガイドのおじさんが色々と説明しながら案内してくれましたのでよく分かりましたが 実際の石見銀山はあまりにも寂れていてちょっとガッカリしました。今回この小説を読んで最盛期の石見銀山の事がよく分かり 日本で唯一 世界でも知られた銀山が「400年も続いた」と言うのは凄いですね。

石見銀山迄の山道は木が生い茂り 昔どこに人が住んでいたのかしらと思うような山でした。
ガイドさんの説明では「向こうのあの辺りに抗夫達の家がたくさんあった」と言われましたが小説に書かれているような銀山での生活の様子は今、思い出してもあの山からは想像できませんでした。





【夏草の賦】

これは「司馬遼太郎」さんが書かれた本です(上巻は返してしまいました)
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これは友人から「この間行った所の話で面白かったから」とまわってきた本です。
今年の5月に高知県に行った時、高知県の有名人という写真の中に「長曾我部という人の名前があったでしょう?!」と友人に言われましたがお侍さんの写真はあったように記憶していますが名前までは憶えていませんでした。

大河ドラマに取り上げて欲しい人のトップにもなった人だそうです。
高知県に行ってきた所だし「じゃ読んでみようかしら」と借りた本が読み終わりました。

これは戦国時代~安土桃山時代にかけての大名「長曾我部元親」という人の話でした。
織田信長・羽柴秀吉・明智光秀などと誰でも知っている人がいた時代なのでそれぞれの思いがよく分かり案外読み易かったです。


最初の方で京や大阪の人達からは四国は外国のように遠い国で なんと「顔も違う」「馬は犬のように小さい」とか思われていると書かれていて可笑しかったです。

四国を統一して京に上り全国統一を夢見ますがその間色々とあり(省略💦)羽柴秀吉に抑えられて土佐の1国だけを治める事になってしまいます。土佐から大阪城へ元親の使いで行った者が大阪城の余りのきらびやかさと大きさに物凄く驚く様子も土佐の城がどんなものか想像できますし、その後秀吉に謁見するために上京した元親一行を観る為に沿道に出てきた庶民が元親一行が着ている物の余りの粗末さに驚いたとも書かかれています。


上京した元親は秀吉の弟の所に泊まりますがそこで「お風呂へどうぞ」と勧められたところも可笑しかったです。土佐ではタライの水で体をふくだけだったので「どのようにして入るのか」と悩んでしまいまいお付きのものに「入り方を誰かに聞いてこい」と言いつけますが「入った事がない」という人が多くその顛末も可笑しかったしお風呂に入った後の元親は「薩摩の者たちは風呂なんて入ったことが無いだろう」と優越感も持ちました(^-^;
翌日大阪城に居る秀吉に会いに行く時「此処では1万人の女が働いている」と言われて驚きます。


四国を制定しようと戦っていた頃の元親が年を取り、秀吉に従い土佐一国の主となってからは年と共に昔の勢いや気力が無くなっていく様子がよく分かりました。薩摩征伐での戦いで長男を亡くしてからより気力が無くなっていったようです。年と共に「戦で自国の民をどれだけ亡くしたろうか」との思いも強くなります。戦国時代の話はドラマでしか知りませんし今回この本を読んで昔は通信も交通も今のように便利な手段が無い時に伝令や移動など一つの事を起こすのにどれだけの時間が掛かった事だろうと想像しました。

一時「毛利元就」に嵌り、彼の事を書いた小説を色々と読んだことがありました。
その時に「鞆の浦」というのを知り実際の景色を見に行ったことがありますが 実際に旅行などで行った所の歴史を知るのもまた違った楽しみがありますね。



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昨日も今日も大阪は良いお天気です。 

東京の次男は大阪音楽堂での仕事に来ているようで
今日は広島に移動しています。
インスタで知りました(*^-^*)
今日も良いお天気で良かったです。



【石見神楽】

いよいよ神楽の幕が上がりました。
去年聴いた懐かしい
「笛、小太鼓、大太鼓、とても小さなシンバルみたいなもの」
を使ったお囃子が始まりました。


このお囃子は演技が終わるまで、
休むことなく続けられるので
演奏者はかなり疲れると思います。
私たちが去年神社で観た時、
お囃子は高校生くらいの子だったと思うのですが
今回の社中の方々はもう少し年齢が上のようでした。

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最初のお話は「鈴ケ山」というタイトルで
平安時代の武将「坂上田村麻呂」が悪鬼を退治した話です。
数々の功績を残し 京都に「清水寺」を建てたとされる
その田村麻呂の合戦の一幕を神楽にしたものです(プログラムより)

なので、途中で客席のあちこちを悪鬼が走り回り
舞台に上がっていきました。(画像が汚くてスミマセン💦)

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途中休憩があってから「大蛇」(オロチ)です。

「スサノオノミコト」の乱行で 
姉である「天照大神」が天岩戸に閉じこもり
辺りは暗闇となりました。

「スサノオノミコト」は反省と修行の旅に出ます。
修行を終えて帰る途中に出雲の国の「斐の川」に差しかかったところで
老夫婦から「8人の娘のうち7人を八岐大蛇(ヤマタノオロチ)に毎年奪われた。
最後の一人のこの娘も呑み取られる時がきたので助けてほしい」
と助けを求められます。
「スサノオノミコト」はその話を聞き
「大蛇は退治する。その代りその娘を妻に欲しい」という事で
退治を引き受けることになりました。

大蛇に毒入りの酒を飲ませ
暴れまくる大蛇の様子は圧巻でした。


動画は撮ったのですが載せ方が分からなくて。
こんな写真しかありませんでした💦

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後ろに立っているのが娘の「櫛稲田姫」です。
ずっと立っているのも大変そう…
この櫛稲田姫をここまで連れて行くのに両親のおじいちゃんと
おばあちゃんが出てきましたが
この時のおばあちゃん、いやに小さいなと思ったら
公演後の説明で
「小学3年生」との事でした。この子のお父さんも何かの役で出ていると
説明がありましたが忘れました。

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去年 神社で観た時は「会場が狭いので大蛇は4体(匹?)ですが
本当は8体でします」と説明がありましたが
今回は8体でしたので圧巻でした。



これは去年神社で観た時の写真の一部です。

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~~~~~~~~~~

終わって‥‥
去年と同じような感動を受けました。

神楽をしている人たちは
学校が終わってから、仕事が終わってから、休みの日に…
神楽が好きな人が「無償で練習に励んで」
伝統芸能のために頑張っていると聞いたので
頭が下がる思いです。

去年「温泉津」で神楽の面を作っている工房も尋ねました。
その時 イケメンの素敵な男性が色々説明してくれて
地元の人達の神楽への強い愛を感じたのですが
夜神楽に行った時も
神社の境内で受付をして「楽しんでくださいね」
と言ってくれた人は「来ているかしらね」。


芸術センターの会場内では神楽の衣装なども展示されていました。
開演迄、交代で観に行きました。

衣装に触ってみたら「すごく重たい!」
10㌔どころではない重さです。
この衣装であれだけ動くなんて?!
腰とか大丈夫なのかしらね…と思いました。

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お面を被った人もいたわよ、と教えてあげたら
友人はその人に話しかけたそうです。
「去年行って神楽を観たんです。
K工房のKさんは来られてますか?」
と聞いたら
「このお面も彼が作ったんですよ!」という事から
今回のように出向いての公演には
ものすごくお金がかかって大変だ、
という事も話されたそうです。

11月に京都でオペラとコラボでの公演があるので
「是非‼来てください、って言っていたわ」との事です。

貰っていたパンフを観ましたが
歌舞伎並みの料金でした💦


満足して帰った昨日の夕刊に載っていた記事を
見て あら!

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夜は「プラタモリ」で「対馬」の番組!
対馬は本当に良かったところなので
もちろん観ましたが
昨日は私たちが行った場所は2か所だけ。

来週に続くので予告を観たら
来週は対馬の歴史に興味ある場所で
私たちが行ったところが殆どになるようで
楽しみです~(^^♪

今迄対馬に興味がなかった方も
対馬の歴史を知ったら
日本の歴史にこんなに大切な島だったのかと
改めて認識されることと思います。

昨日も神楽を観に行った友人と
対馬の話になりましたが
この間は岡田准一さんが対馬を廻られて
とても分かりやすく説明されていたし
今度はタモリさん!

私達が言っていたように
大河で取り上げてくれるかも!

神楽も新聞に取り上げられるなんて
興味を持たれるようになったのかしらね、
なんて昨日の夜はlineで盛り上がりました(*^-^*)💦

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今日も秋晴れの良いお天気でした。
午後から、
前に申し込んで当たっていた
日本遺産「石見神楽の舞」を観る為に
バスに乗って「豊中市立文化芸術センター」
へ行って来ました。

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ここは何年か前に(だいぶ前?)
立派な建物に建て直し
日本センチュリー交響楽団が
豊中緑地公園内に本拠地を置くことになり
この芸術センターでのクラシックコンサートも
定期的に公演があるようですが
私と友人は新しくなったこの芸術センターへ行くのは
初めてでした。

芸術センター「大ホール」
左の白い建物はアクア文化ホール「中ホール」

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HPからお借りしています

公演は1時半からですが
私たちが「着いたのは12時40分」位でした。

「入場は12時半から」となっていたので
すぐに入れるわね、と話しながら歩いていきました。
建物が目に入り
立派な建物になったのね~!と思った途端!
「何?! あの行列!」

写真が暗くてよく分かりませんが
建物入り口前広場みたいなところは
人で埋まり

ダラダラと入場しているみたいでした。
ということは入場開始前から
かなりの人が並んでいたという事?

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「席は自由」だったので
皆さん少しでも良い席を取ろうと
早くから並ばれていたのかも。

「神楽」に
「たくさんの人が」申し込んで迄来るとは
思ってもいなかったので本当に驚きました。

そして
会場の中に入ってとても立派なのに驚きました。

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8月に「吉田兄弟」の津軽三味線を聴きに行った
「メイシアター」は吹田市の会場です。

吹田市の方がお金持ち(と、よく言われています)なのに
こちらの会場の方がお金をかけている感じね、
これならクラシックコンサートもできるはずだわ、
と話しながら会場に入りました。


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まずは神楽社中が来た
「益田市」の方のご挨拶。
益田市の「石見空港」と豊中「大阪国際空港」は
飛行機で1時間で運行されているそうです。

そして
豊中市長さんのご挨拶。
「空港で結ぶ友好都市」としての交流があり
神楽の上演も今回で4回目と聞いて「えッ?!」
初めての時は「豊中伝統芸能館」で
観客150人くらいだったそうです。

その後、アクアホールの「中ホールで」
500人くらい、とだんだん多くなってきて
今回この大ホールでの上演となったそうです。


最後に
「上吉田社中」代表の方のお話…
今日はたくさん撮影して
SNSで神楽を宣伝してください、って。


私たちが島根県「温泉津温泉」に泊まって
龍御前神社の夜神楽を観に行ったのは
去年の11月6日か7日くらいでしたので
約1年くらい前になります。

その時は神社の中で、でしたので
すぐ目の前で観たのですが
今回劇場で‥離れた舞台の上での神楽、
どんな感じかな、と期待です。

それにしても会場はほとんど満席でしたが
シニアご夫婦、シニア女性、男性…

「よくこんなにシニアばかり集まったわね」と
自分もそのお仲間なのに💦
何だか皆さん神楽にそんなに興味があるのかしら
と、不思議でした。

友人と「無料だからかしら」と話したのですが。
現地で感動を貰ってきた私たちは
5000円と言われても観に来たわね、です。

神楽の舞台は写真を整理して明日に更新いたします。
日本の伝統芸能「素晴らしい!」の一言でした。

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島根の旅行、最後ですが

2泊目に温泉津で泊った「のがわや」さんで
夜神楽を観て帰ったら、番頭さんが出てきて
「これ、お土産です・・」と紙袋を差し出されました。

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重たい!
中を見たら
「日本酒」と「お米」が入っています?!

「コロナで観光客が来なくなったので
造った日本酒が売れなくて余ってしまったのを
県?市?
(忘れましたが・・)が買い取って
お客さんに渡すようにと・・・」


日本酒720ml、ワインと同じ瓶です。
お米は4合

重たいです。


部屋に持ち帰ってから、

友人が
「日本酒は飲まないし、家は玄米だから要らない」
と言いました。
「じゃ、私が貰っても良い?」という事で
私が貰う事になりましたが、
とても重たくて持っては歩けません。

番頭さんに箱を貰って宅急便で送る事にしました。



家に届いてから撮りました。
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醸造会社は違うので
早速「玉櫻」と言う方を飲んでみました。


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凄く美味しい!

久し振りの日本酒!
昔は主人と二人で一升瓶を空けるくらいよく飲んでいた日本酒ですが
大阪に来てからは
毎年のお屠蘇以外は、日本酒って飲んでいませんでした。

夕食時はワイン(白)でしたが、
「私は矢張り日本酒が好きなんだわ」と改めて思いました。

この玉櫻は3日で無くなり、
魚に合うという
のど黒を飲み始めましたが、
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今一つ物足りなくて

玉櫻、ネットで見たら売っていたので
お取り寄せするのに、
問い合わせしようか迷っています。

(二種類あったのでどのように違うのか)



【甘酒】

この間、英会話の時に
「甘酒を作るものがあって、
それで作った甘酒が凄く美味しい」と
いう生徒さんがいました。


お米をおかゆ状態に炊いたものを
セットして「酒かす」では無くて何か(忘れました)を入れて
発酵させるようにタイマーをセットしておくと
甘くて美味しい甘酒が出来ると言いました。

皆が興味を持って
「飲んでみたい!」と言ったので翌週、作ってきてくれました。


私は甘酒は苦手なので「少しだけ!」と
ほんの少しだけ💦  「酒かす」を使っていないので
私の苦手な甘酒とは味が違いました。
「甘酒は飲む点滴と言われるほど体に良い」
という事は皆さんご存知でした(*^-^*)

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この日は「豆大福」と「ユズ」の差し入れもありました。
小さな柚子は我が家に生っているので、
大きな柚子だけ頂きました。

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明日の英会話はどんな楽しい事があるかな、
と毎週行くのが楽しみな水曜日です(^^♪


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ちょっと期待外れだった
「石見銀山」を観終わって、
急ぎ足で大森の町に戻りました。


途中で観た大好きな「皇帝ダリア」
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お腹も空いていたし、
まずはランチもできる
「群言堂」へ行きました。

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中庭もあって良い感じです。
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ランチ・・・
右手にも席はあるのですが、総数は少ない・・・
ので「待ち時間1時間近く」と言われて、
フードコートで持たされるようなベル?を渡されました。

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でも、中は思ったより広くてビックリです。
建物は庭の向こうにももう一軒あって
時間は十分潰せました。

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二階もありました
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もう一軒、離れの方は
肝心のお洋服や小物がたくさんあったのですが
観る事に一生懸命で(何も買いませんでしたが(^-^;)
写真を撮るのをすっかり忘れていたみたいです。


そのうちに持っていたベルが「ビ~~ッ!」と鳴って
やっと順番が来ました。


メニューは二種類だけ
「ビーフカレー」「野菜カレー(私)」
(カレーに付いていた名前は忘れました💦)
見た目はイマイチですが、
味は良く美味しかったです。

このあとコーヒーも飲んでゆっくりしてから・・
大森町観光へ。

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群言堂は若いカップル、女性グループ、年代色々・・・
こんな田舎💦なのに、
お店の中は人でごった返している状態です。

日曜日という事もあって、大森町散策と
群言堂でのランチやショッピングも兼ねて、
近郊から来る人が多いように感じました。
「平日はどうなのかしら」と友人と話したのですが
とに角、人の多さにビックリです。



【江戸時代からの街並み・大森町】


石見銀山に行く前に途中まで歩いた大森町を
食事が済んでから、最後まで歩きました。
(直線の一本道です)

朝歩いた時の大森町入り口

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昼食後・・
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途中、雑貨屋さんや銀製品のアクセサリー、
色々なお店があって、どのお店も入って見ました。
幾つかのお店の中で、
結構たくさんの写真を撮ったはずが
一枚も残っていませんでした😢



このお寺迄が「町並み保存地域」です。
上に登ったら
「石州瓦の良い景色が観れる」と言われました。

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             👆
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            👇
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赤い屋根「石州瓦」屋根の街並み。
石見銀山大森の街並みは、
典型的な石州瓦の景観だそうです。


太陽が当たるとキラキラと輝くと聞いていましたが
位置が悪くて「光る瓦」は観れませんでした
😢
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石州瓦とは
島根県の石見地方で生産されている「粘土瓦」の事で
三州瓦、淡路瓦と並ぶ日本三大瓦の一つです。

Wikipediaより

大森の町を一応全部散策し、
大森バス停16:22発
「銀山号・広島駅新幹線口行き」
に乗って広島へ。
約2時間50分ほど掛かり
7時過ぎに広島駅に着きました。


バスが広島に近づくにつれて、
駅周辺の都会的な様子に
「広島駅って大阪駅より凄いわね!」
とビックリしました。

広島駅に着いて、
予約していた新幹線の時間まで
20分も無かったけど、
「お弁当を買わないと!」

友人は「パンで良い」と言っていましたが
私は「『うえの』の穴子弁当売っていたら食べたいから探す!」
と言い、キョロキョロしたらすぐ目の前に売り場がありましたが

「本日売り切れ」とケースに布が掛かっていて誰も居ませんでした。

私もパンを買って・・
新幹線の中で夕食にしました。

広島から新大阪迄はのぞみで1時間20分です。
あっという間に着きました。

新大阪で出発する時に
「こんな所で売ってるわ!」と見つけた
これを
帰る時に買いました。

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前にテレビで観た「ご当地チップス」
「紅ショウガ天ポテトチップス」!

主人は家でお蕎麦を食べる時に
ショウガ天を乗せるのが好きなので買ってみました。
が・・・
ショウガの味は殆どしなかったです~(*_*;


島根に出発してからもう1ヶ月も経つのに
やっと旅行記事が終りました💦

最後の大森地区のお店の写真がすべて消えていたのが
ちょっとショックでしたが・・・


思い返すと、なかなか充実した楽しい旅行でした。


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島根県二泊目の翌日は
青い空の大晴天でした。


石見銀山のガイドを予約していましたが
10:30~の予約は11人でした。
それぞれ皆さんの言葉から、
日本各地から来られているようでした。 

近隣の県から車で来られている人が多く、
日曜日という事もあって、それなりの人がいました。


ガイド料は一人500円(ボランティアのガイドさん)
時間は90分との事でした。

歩き始めて・・
延々とこんな山道を、

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ガイドさんの説明を受けながら歩きました。
時間が90分という事でしたので、
「銀山観光して戻るまでの時間が90分」だと思い、
戻ったら昼食時間だからちょうど良いわね、と思っていましたが・・
1時間以上歩いても、銀山に着く様子はありません😢

「もしかして銀山迄が90分で、
観光して銀山で解散、という事じゃない?」
等と話しながら更に歩き続けました。


その間、ガイドさんは色々な説明をしてくれますが
「そんな事、言わなくてもね」という様な事まで・・・
途中に建っている家に住んでいる人の事・・
「個人情報じゃないの?」と思いましたが(^-^;

やっと着いて、見た入り口は・・

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辺りには何もなく、
本当に小さなチケット売り場が
ポツンとあるだけでした。

「世界遺産」という事で、辺りはもっと賑やかで
お土産屋さんとか資料館とかあるのかと思いましたが、
掘っ立て小屋のようなチケット売り場があるだけです。
あ、トイレもあったかも⁈

私は今までに「佐渡金山」「別子銅山」も行った事があり、
中には抗夫の人形が置かれていたり、
掘ったものを運ぶトロッコと

そのレールなどが坑内に設置されていたので
石見銀山も中は当時の抗夫さん達の様子が分かるように
なっているのかと思っていたのですが・・・

「道が細いので頭をぶつけないように気を付けてください」
とガイドさんに言われて「えっ⁈」
道が細く、写真を撮るのに歩きを止めると他の人に迷惑なので、
撮った写真は以下のものだけです。

通路から更に横に掘られた坑道ですが
人が這うようにしないと通れません。
掘るのも小さなノミ?でコツコツ掘ったのかしら・・

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黒い所は銀が含まれているらしいです。
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前を歩くガイドさん。先はもう出口です。
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この遺跡を
「龍源寺間歩」(りゅうげんじまぶ)と言うそうです。

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「間歩」(まぶ)とは銀鉱石を採掘するための坑道のことで、
岩を削り、人ひとりがやっと通れるほどの坑道の事で、
この石見銀山には600ヵ所を超える間歩があるそうです。

坑道を作り上げた人の力と

その規模に「世界遺産」として認定されたのでしょうか。

余りに簡素な坑道を見て、
私が今までに見た「佐渡金山」「別子銅山」
もっと時代が後だったのかしら・・・と調べてみました。
(佐渡金山・別子銅山の写真はHPからお借りしています)


【石見銀山】

矢張り一番古くて初めて銀が発見されたのは
鎌倉時代の末期1309年です。
1600年まで家康が支配していましたが、
その後色々とあり(利権争いが続いたようです)

1886年(明治19年)大阪の藤田組によって再開発が進められていましたが
1943年に完全閉山したそうです。
2006年~鉱業権はDOWAホールディングス(旧藤田組)とありました。




【佐渡金山】

入り口も立派です。
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此処も世界遺産登録されていますね。
銀も取れたので「佐渡金銀山」とも言われているようです。
佐渡島観光で行き、坑内を歩いて周りましたが
中で抗夫達が作業をしている様子、

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お人形が動いて掘っている様子など
佐渡金山と聞くと、坑内での様子が思い浮かびます。
ここは石見銀山より後で、
1601年・江戸時代初期から
388年間の間、発掘が続いたようですが
1989年に閉山になったとの事でした。
石見銀山より300年ほども後の事ですから
矢張り技術は進んでいたのかも知れません。



【別子銅山】

ここは旅行会社のうたい文句が
「東洋のマチュピチュ」という事で興味を持ち
矢張りツアーで行った所です。
場所は愛媛県新居浜市という所にあり
開坑から閉山まで住友が経営していたとの事で
当時の記録もたくさん残っています。

ここは1690年から発掘が続き、
1973年(昭和48年)に閉山になりました。

HPから写真はお借りしましたが

2
最盛期にはかなりの人が住んでいたようです。
町には学校、病院跡…色々と残っています。


昭和48年に閉山との事ですから
その頃までここに住んでいた人達は、
今でもどこかで生活している人が沢山いるのでしょうね。

ツアーで行ったので、
ガイドさんの町の様子の説明が詳しくて
とても興味のある所でした。

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簡単な紹介ですが、佐渡金山、石見銀山は
何百年も昔に
機械も無く、手掘りでの作業は大変な事で、空気抜き、水抜きも
色々工夫をしていたようです。


「石見銀山」名前は昔から知っていましたが
実際に行ってみて、思っていたより原始的な坑道でした。



1時間半も掛けて山歩きして行ったのに、
銀山の見学は短く、終ってからは来た道を急いで降りて
大森の町まで帰りました。


大森の町で群言堂での食事、
江戸時代の面影を残す大森町の見学を
ユックリとして歩きました。


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【旅行2泊目・翌日】

「のがわや」さんでの朝食を食べてから

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温泉津温泉のお宿の人に温泉津駅まで送って貰い、
8:11発鳥取行きのスーパー松風63号に乗って
18分後「大田(おおだ)市」で降りました。
大田駅前のバス停から石見交通バスに乗り「石見銀山」目指します。

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銀山への出発地である「大森」という所まで
約30分程バスに乗りました。
乗客は私達2人とおじさんが一人の3人だけでした。

大森に着いたのは9:15位です。
石見銀山のガイドさんを予約していましたが
スタートは10:30です。


それまで45分ほど時間がありましたので
観光案内所の人から
「大森地区を先に少しでも観てきたら?」と薦められました。

「大森地区」とは石見銀山とともに栄えた町で、
江戸幕府の直轄地だったので「代官所跡」「宿」
「武家屋敷」「商家」等がまとまって現存しているので
「町並み保存地区」に指定されているところです。

銀山ガイドさん達が来るまでの45分の間、
町の途中まで歩いてみました。

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空き家は殆ど無く、趣のある家で生活されています。
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お店も結構あり、ご存知の方も多いかと思いますが
婦人服や家庭用品、雑貨等の
「群言堂」の本店はこの地区にありました。

石見銀山観光が終ってから
改めてこの町をユックリ散策し、
群言堂によってランチもし・・

石見銀山より?楽しめた町でした。

次回は「石見銀山」と、この町の散策光景です。



ちなみに、この大森町の事を調べた時に
「伝統的建物群保存地区」として
前日に泊まった
「温泉津地区」の事が書かれていました。


以下、その記事より・・・
 温泉津地区は石見銀山の外港、
また北前船の寄港地として発達した港がある温泉町です。
江戸時代以降の町割りをよく残し、町家、廻船問屋、社寺と地区名に由来する温泉旅館からなる伝統的建造物がまとまって現存し、それらが周囲の海や山とともに、港町、温泉町の歴史的景観を形成しています。


駅前の余りの寂れ具合から、
宿に着いても外に出ませんでしたが
もう少し辺りを散策してみれば良かった・・・と
今回の旅行で、思い出しても一番後悔した事です😢


石見銀山と町並み保存地区の大森町散策へ続きます


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石見夜神楽の演目2つめ「大蛇」(オロチ)です。

煙と共に現れた大蛇
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舞台上には4体の大蛇がいて、
本当は八岐大蛇(ヤマタノオロチ)と言って
8体の大蛇だそうですが
舞台の関係で4体です。

写真では静止しているように見えますが、
絶えずクネクネ、クルクル、
動き回っています。


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時々「うぉ~っ!」という
「怖い掛け声」が入ります。

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↑大蛇が桶からお酒を飲んでいます

後ろのお囃子の子達、
休みなくて「疲れないのかしらね」
と感心しました。


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この顔が怖かったです!
息を止めてしまう事、何回も・・・
終わってから友人も同じく
「怖かった」と言っていました。

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この後、
スサノオノミコトに退治される大蛇達が
のたうち回る様子は物凄く迫力がありました!



「夜神楽」は大田市のあちこちの神社で
毎週土曜日に開催されているそうですが、
昼間はゴーストタウンだった温泉津の町の神社に
こんなに人が観に来るなんて、
矢張り温泉津の幾つかのお宿には
宿泊客は居たのね~と改めて思いました。

今回の夜神楽が伝統芸能として
日本遺産指定されているのは納得です。


それにしても、
「演舞」の練習、「演奏」の練習、華やかな衣装・・
工房で会った人も
「子供の頃から神楽が大好きで、
一度県外に出たけど戻って来た」
と言われたように子供から大人まで、
「好きでないとできない事」だと思いました。

大蛇が終って、この日の団体さんの代表らしい方が
挨拶をされました。
激しい動きで大蛇を退治する役をしていた方でした。


息を切らしながら、
神楽を観に来てくれたお礼と
頑張って練習している事を話すのを聞いて、
素晴らしいものを観れた事と、
若い子達も一緒にこうして
毎週神楽を演じている事に心から感動し、
こんな良いものが受け継がれていたという事を
改めて嬉しく思いました。
若者達の地元愛は神楽に対して
熱いものがあるようです。


宿に帰ってから温泉に入り、
寝る迄、
「凄かったわね~!」
「良かったわね!」
「こんな良いものを此処だけでしているなんて
勿体ない、もっとあちこちに行って公演したら良いのにね」
「日本人でも知らない人沢山いるわよね。
観て欲しいわね~」
等と話しました。

翌日はもう一つの目的
「石見銀山」です。
8時過ぎの電車に乗るので
宿の方に駅まで送って貰います。
夜神楽を観て帰ったら宿の番頭さんから
珍しい?「お土産」を頂きました(*^-^*)
私達は車でないので持っては歩けません。
宅急便で家に送りました。





なつかしの国 石見 石見神楽「大蛇」 - YouTube

短い動画ですが
40秒あたりから大蛇が出てきます。
オロチの迫力もお判りいただけると思います。





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島根の旅二日目の夜は
「龍御前神社」で毎週末にある
「石見(いわみ)夜神楽」

を予約してありましたので、
食事が終ってから観に行きました。


一応「石見夜神楽」について
簡単に、ですが。


起源は定かでなく近世以前とされているそうです。
往時は神職によっての神事であったものが、
明治政府から神職の演舞を禁止する達しが出た事により
土地の人々の手に受け継がれ、民族舞踊として
演舞されるようになった。そうです。
夜神楽を舞う団体は大田市だけで100以上の
グループがあるとの事でした。



「龍御前神社」は泊っている宿から
歩いて2~3分程の所にありました。 

予め予約をしてあったので
受付で一人2000円を払います。

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8時からですが、始まるころには
「どこからこんなに人が来たのかしら?」と思う程
50人近くの人が居たのではないでしょうか。

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受付には温泉津に着いた時に見学に行った工房の
若い経営者の方が来ていて「楽しんでください!」

この日に来た神楽のグループは「温泉津」の人達でなく
隣りの市?から来た、
元気の良い神楽を舞う団体だと教えてくれました。

最初の演目のタイトルは忘れてしまいました
💦
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衣装は華やかです。高いものは数百万もするそうです。
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左の男の子はまだ高校生?位に見える若い子でした。
一生懸命なのが伝わってきました。


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後ろで5人の男性が(若い子が多かったです)
休む事無く、太鼓や笛などお囃子を演奏し続けます。

この後、少し休憩がありました。
その後次の演目について説明がありました。


「大蛇」(オロチ)という演目で
本来は8体の大蛇が出てくるのですが、
舞台の関係で、
この日は4体です、と説明がありました。


そして、この演目が
息を止めてしまう程の迫力があり、
体にも力が入り、一生懸命観続けたので
終わった時は
脱力感におそわれたくらいです。


②に続きます

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一昨日の金曜日、
「ショパンコンクール入賞者ガラコンサート」の優先予約日だったので、
友人と二人がかりでチケット確保に
頑張りましたが取れませんでした。
今日(日)の一般販売日、
3人がそれぞれ自分の分だけ
取る事にしたのですが
結局3人とも取れずじまいでした😢





2泊目・11月5日(土)

島根県「温泉津温泉」で泊った

「のがわや」さんの夕食です


真ん中の白いものは「イカソーメン」です。
予め「追加」で頼んでおいたものです。

海が近いせいか、お刺身を始め
この「イカソーメン」も本当に美味しかったです!
良く食レポで「甘い」と聞きますが、
この「イカソーメン」も思わず「甘いわね!」でした。

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友人が予約の電話をした時に、
電話に出たおじさんが
「魚、のどぐろにしておきますよ」と言ったそうで
「ホントかしら、覚えているかしら」と話していたのですが
「のどぐろ」でした!
魚は苦手な私ですが、こんな煮物は美味しく頂きました

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これは写真を見ても何だったか思い出せません💦
島根特産の「里芋」だったかも?

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これも予約の時に追加で頼んでおいた「岩見牛」
「美味しいわね」と言いながら食べましたが
これだけで3500円はちょっとね、という感想でした。

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「天婦羅」
海苔が巻いてあるものは「鱧です」と言われたのですが、
食感が「鶏肉じゃない?」と二人で「鱧じゃないわよね」
なんて言っていたのですが、確認したら矢張り「鱧」でした

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飲み物は和食なので「日本酒にしてみましょう」という事で
私のこれは名前に「亀」が付いていて、
面白い名前ね、と言った記憶がありますが銘柄は忘れました。

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この後、8時から始まる「滝御前神社」での
伝統芸能「石見夜神楽」を見に行きました。


「日本にはこんな素晴らしい伝統芸能が、
未だに受け継がれている」
という事に大感動した夜でした。



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津和野の行程が終って、
いよいよメインの
岩見・温泉津(ゆのつ)です。


津和野からスーパーおき4号に乗り、
1時間40分程で「温泉津」駅に着きました。
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「温泉街」のはずなのに、、、??
どうして?!
しかも土曜日で「石見夜神楽がある日」なのに
降りたのは私達二人だけ‼でした。
何か不安???
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改めて写真を良く見ると
「町並み保存地区」とかいてありますね~(@_@)!?!?!


改札はあるけど、駅員さんもいなくて、
切符はどうするの?
と思ったら柱に小さな箱が掛かっていて、
「切符はここへ入れてください」と書いてあります?! 


一応改札っぽい所を出たら
ベンチにおじいさんが一人で座っていました。

いきなり「ここは駅じゃないよっ!」と言い、
「ここは元農協だったんだ」と言います。

続けて
「この町は空き家ばっかりだ!」
「どこへ行く?宿に泊まるのか」というので
一応泊まる宿の名前を言ったら
「電話して迎えに来て貰ったらいいから」と言ってくれましたが

私達は宿に行く前に
駅から歩いて3分位の
神楽のお面を作る『小林工房』を見学する事にしていたので、
「小林工房へ神楽のお面を見に行ってから行くから」
と説明しましたが
おじいさんはその工房の事は知らないのか
「わしは耳が悪いから、あんた達のいう事は分からん!」と
怒り出しました(^-^;


取り敢えず、駅を後ろに右に歩いて行くと
神楽面を作る工房のはずです。
駅前と言っても何もなく家も少なく、車も人も通っていません。
「ゴーストタウンみたいね」
と言いながら歩いていたら、
向こうに建物が見えました。

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恐る恐る中に入り声を掛けたら、中から
まだ若そうな(40代後半?)
イケメンの男性が出て来られました。

お面造りの話の他にも
「岩見神楽」についての話等も熱く語られました。
彼は子供の頃から神楽を見て育ったので
大学は京都に行きましたが、矢張り地元が良くて
戻ってきて、今も神楽に深く関わっているようです。


私達が
「今日(土)の夜神楽を見る為に来たんです」と言ったら
「僕も行きますよ」と言っていましたが
夜、神社に行ったら受付の所にいて
「楽しんでください」と言われました。


この工房から、
この日、宿泊する「のがわや」さんに
迎えを頼む電話をしました。


5分ほどで番頭さん?が迎えに来てくれました。
運転しながら、
工房の小林さんの事を
「小さい時から知っている。神楽が好きな子で
京都の大学でも仲間を作り、神楽を踊りに来た事もある。
彼の作るお面は有名だ」
等と話されました。

話を聞きながらも、通る道を観察していましたが
全く活気のない、普通の街でお店も無く、
「温泉街?」「どこが?」と
とんでもない所へ来たんじゃないかと不安になった位です。


今回の旅行のきっかけは、ですが・・

私が入会している「ジパングクラブ」から送られてくる会報には

毎月、全国色々な観光地の紹介が載っています。
今年の春頃の会報で
「石見銀山」の近くにある「温泉津」という温泉地の
「薬師湯」の写真が載っていて、
歴史のありそうな建物が並び、
風情のある温泉街の写真でした。
その写真はもうありませんので


下の写真をお借りしましたが
両側にお宿が並ぶ、昔ながらの温泉街の感じでした。

visual


私は世界遺産の「石見銀山」は行った事が無いし、
行ったついでにこの「温泉津」という所に行ってみたい、
と思い、友人に「温泉津」の写真を見せたら
彼女も「石見銀山には行きたい、と思っていた」
「行くなら津和野の美術館にも行きたい」と
即、話がまとまったのでした。




「のがわや」さんは古いお宿でしたが
お部屋は綺麗でした。
でもさすがに二人とも
街の様子には「チョット酷いわね~」


この「のがわや」さんに予約の電話をしてくれたのは友人ですが
その時に電話に出たおじさんが
「料理にある魚は『のどくろ』に替えておきますよ~」
と言われたそうです。
二人とも「ホントかしら?💦」です。



食事まで少し時間がありましたが
外に出る気もしないし
町の余りの寂れように

「温泉津は観るところは何もない!」
と思い込んでしまい
外に出ることなど思いもしなかったので
薬師湯の事はすっかり忘れていました。

時間があっても温泉に入ると
夜に出かけるので、
お風呂は帰ってから、と
食事時間になるのを待ちました。


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部屋に取り込んだ「ハイビスカス」が
この所、毎日のように咲き出しています。

しかも直径18㎝ほどあるので
存在感が半端でないです!
今日咲いた
 テレビ側のハイビスカス

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蕾はまだたくさんあります!
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テーブルの端、
ベランダ側に置いている挿し木したもの
咲き始めた所

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「お稲荷さん」

朝のガイドさんが教えてくれた
稲成神社の下にあるお店で「美松」というお店が
津和野で一番古いお店だそうで
「黒いお稲荷さんが有名です」
というのを聞いて、
お稲荷さん大好きな私は「是非!食べてみたい」
と思っていました。

お店は直ぐに分かります。

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あ、稲寿司と書いてありますね💦
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白米でなく玄米を食べている友人は
ちょっと躊躇っていましたが
黒いお稲荷さんに興味があった私に合わせてくれて
「私はお蕎麦だけにする」と入る事にしました。

先に2組のお客さんがいましたが
直ぐに満席になり、タッチの差で入れて良かったです。


私はお稲荷さん付きのお蕎麦セット。

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煮物も付いていました。
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期待の
「黒いお稲荷さん」
揚げは「黒糖で煮ているので黒い」みたいですが
普通のお稲荷さんでした。
ご飯の酢が良く効いていました。

そして
「お蕎麦」の不味い事!
「冷凍で売っているお蕎麦の方がマシね」と言いながら
食べました。
このお蕎麦で長年経営しているのかと思うと
とても残念なお蕎麦でした。
このセットで1200円は高い!


食べ終わって、
14:03発の電車に乗るにはまだ時間があったので
また殿町の鯉を観に行くついでに、
前夜のお店が営業しているかどうか?
見に行きました。
お店は完全に閉まっていて、
あの「本日は予約のみ~」の
看板だけが出ていました。





「室内が畳」の教会と教えて貰っていたので
行ってみましたが、土曜日で
「礼拝の為」、中には入れませんでした。

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さだまさしさんの「案山子」のビデオで
中が映りましたが、行ってみたかった~
😢




その後、わた屋さんに戻り、
荷物を受け取りに行きました。

わた屋さんの玄関前にも大きな鯉がいます。
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まだ早かったけど直ぐ傍の津和野駅に行きました。


津和野の駅は待合室とかも無い、
小さな駅なので
外のベンチに座っていたら
一日2本だけ走っているという
D51の「SL山口号」が到着しました。

客車を何両引いているのか知りませんが、
たくさんの人がゾロゾロ降りてきます。


皆さん、これに乗る為にわざわざ来られたみたいで、
鉄道マニアの方も多そうでした。

津和野が終点なので、先の方に回転するところがあって
今度は山口に向かって走るそうです。

友人の妹さんのアメリカ人のご主人は
「鉄ちゃん」と聞いているので、
「荷物は私がみているから、向こうに行って汽車の写真を撮ってきたら?」
で、撮ってきた写真がこれです。

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「わぁ!これは喜ぶわ!すぐ送ってあげたら?!」

友人はカリフォルニアにいる妹さんにこの写真を送りました。
折り返しご主人のダンさんから返事が来て
「日本の蒸気機関車は殆ど乗りました。これも乗りました」
だそうです
それにしてもlineって、便利ですね。


この後、14:03発の「スーパーおき4号」で
2泊目の「温泉津」(ゆのつ)へ向かいます。

津和野は鯉だけでなく、
見どころ充実していました。



津和野の市花は「つわぶき」だそうで
アチコチで見かけました。丁度満開です。

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